Najinの日記

理系の大学2年生が日々思ったことをただ単に書いていきます。

犯罪者と家庭環境

 巷には殺人を含む色々な犯罪者がメディアを賑わせ、それを見てる人たちの多くは犯罪者に対してネガティブな感想を抱くでしょう。しかし、犯罪者の多くは家庭や周辺になんらかの問題を抱えていたという話もよく聞く。名古屋大学教授河野荘子らの研究によれば劣悪な家庭環境は犯罪発生に寄与するということが統計的に示されているのです。


 池田小学校児童殺傷事件犯人の宅間守も凄惨な生い立ちであることはよく知られています。僕はこのような犯罪者達を”超えてはいけない一線を超えた”という免罪符で一方的に批判的な口調を並べるような人たちは少なからず傲慢なように思えてしまうのです。なぜなら、そのような犯罪者の多くが過ごしてきた凄惨な生い立ちと、周囲の環境

 は全てその人に責任があるとは思えないからです。裁判の現場では情状酌量の口実としてよく用いられる事柄のようですが、やはり被害者遺族の感情や、取り返しのつかない状況となった今、犯人には然るべき法的判断が下されます。それを知った外部の人々の多くはさらに被害者に批判的な論調を展開します。ここに僕は違和感を感じるのです。おそらくそのような人たちは、一般的な家庭に育ち、凄惨な生い立ちのもとでの極限状態に陥った人々を理解することはできないでしょう。だからこそ、そのようなことが言えてしまうのです。もしあなたが犯罪者と同じような生い立ちの下で育ったならば、健全に育っていたのでしょうか?責任能力のない子供時代の環境によって、多くの人格的な部分が決まってしまうというのはとても不条理な現実です。まともな家庭に育った人たちは、まともではない家庭に育った人たちの気持ちは理解できず、結果として犯罪者が生まれてしまえば、対岸から哀れみと軽蔑の目を向けます。そして、臭いものには蓋がされ、犯罪者はその過去と未来もろとも失ってしまうのです。生まれた瞬間から不幸せな人々は、一生を不幸せに過ごし、生まれた瞬間から幸せな人々は、一生幸せに過ごすというのが現実なのです。不幸せな人々は、その凄惨な過去を生きた気持ちを他者に気づいてもらうことすらないのです。私は犯罪者のこのような事実にもっとスポットライトが当たるべきだと思います。また、むしろ犯罪者は今まで不幸せに生きざるを得なかった分、将来はもっと幸せに生きるべきである、と思ってしまうことすらあります。自分も含めて、幸せが当たり前だという環境の人こそ、このような問題を真剣に考えて欲しいです。