ゼロからスタート中国語単語 2/9
中国語の勉強もしていきたいです。中国出身なので、親戚は大体中国語しか話せないわけですけど、僕は日本育ちなので中国語が話せないんです。なので親戚と会話ができません。若い人たちは英語が通じますけど。第二外国語として大学でも学んでいるわけですが、自習もしていきたいと思ったわけです。
中国語は動詞を省略せずに話す言語なので動詞と名詞のコロケーションをたくさん覚える必要があります。ただの単語帳だけでなく、例文も分かりやすく身になるものがたくさん載ってる良い本だと思います。
また、日本語話者にとってもっとも辛いのが発音ではないでしょうか?中国語の発音は英語に近しいものがあり、日本語話者にとっては発音しにくいし、聞き取りにくいです。語学の勉強はやはり、口と耳を中心にしてやるべきと思います。音声CDがあるのは凄くありがたいです。
中国語を勉強できる無料アプリ「Hello Chinese」もやっていますが、すごく良いです。耳で聞いて、発音もチェックできます。また苦手項目を自動的にリストアップしてくれます。紙媒体で行う非効率的な言語学習(受験勉強のような)から、スマートデバイスでの言語学習へと変革がきているのでしょう。ただ、中学生、高校生にとって悩ましいのは、受験において語学力を"公平に"測定するのにSpeaking能力を問えないということです。これが、受験のための"英語"という使えない(=英語で会話できない)英語力を身に着けた学生が大量発生してしまう諸悪の根源だと思います(詳しくは他の記事に書きます)。早くこの変革がもっと教育現場においても進んでほしいものです。
週刊ダイヤモンド 2/7
僕は世の中のことをもっと知りたいという思いから週刊ダイヤモンドを定期購読しています。ただ、最近読むことをさぼりがちだったので、この春休みにどんどん読んでいく予定です。今日はe-sportsの記事がとても興味を引きました。e-sportsは世界的には、賞金数億円単位の大会も存在し、観客がいたり、スポンサーがついたり、アスリートのような生活を送るプロゲーマーも存在するという。例えば現実の世界では、スポーツは身体的なハンデなどに大きく影響されるものが多いが、ネット上であれば、誰でも努力すれば成り上がれるという魅力があるみたいです。
中国とアメリカがe-sports界のツートップなのだそうだ。現状日本は出遅れているらしい。日本は任天堂をはじめとするゲーム大国であるが、本書では任天堂やソニーの主力製品である家庭用据え置きゲームの存在がネットゲームの発展の妨げになったという皮肉な結果となっていると分析しています。それも一理あると思うけど、ゲームに対する否定的な見方が根強いという風土も影響しているのではないでしょうか。「ゲームするくらいだったら勉強しなさい」ということです。ゲームは何も生産性を生まないとか色々言われるけど、海外ではビジネスとして成り立っている以上、そうとも言い切れないし、なにより、良いプレーが出ると観客は凄く熱狂する。これは娯楽産業としての普通のスポーツと変わらないような気もする。
オリンピック競技などにも採用されるのではないかという話もある。しかし、日本のスポーツ庁や、国際連盟などは、否定的だ。その理由として、国際連盟は「特定の企業をひいきすることになるため、ゲームの選考の基準を考えられない」と言っているらしいです。確かに、ゲームは特定の企業が開発しているのでその理由はごもっともだと思います。ただ、理由として「e-sportsはそもそもスポーツではない」という発想はあまり無いらしい。この辺りからも海外におけるe-sportsの認識と日本における認識に差があることが分かります。
自分としては、ゲームに熱中していた時期があるからe-sportsの将来は凄く期待して
いるし、さらに発展していって欲しいです。
いちばんやさしいPythonの教本 2019 2/6
今日は3週間前、インフルエンザで受けられなかったプログラミングの追試験があったので、最近はPythonの本で試験勉強の足しにしていました。今日は特に例外処理について学びました。エラーが発生するとプログラムが止まってしまうが、その時にPythonは英語でエラーの原因を教えてくれます。しかし、これはプログラム作成者にとってのものなので、利用者にとって分かりやすいような仕組みが必要になります。そこでプログラムにとって例外(エラーを含む)が入力された場合、それに応じて説明を出力するという処理をプログラム上で表現できます。(例えば、"干支 1998"と入力すると"寅"と出力されるようなプログラムにおいて、"干支 あああ"のように入力してしまった場合、"数値を入力してください"のように出力する)。
ところでようやく長かった試験期間が終わりました! 無事進級できるといいな♪
恵まれた環境にいる人々の心得
僕は今とても恵まれた環境にいると思います。だからこそ、その恩恵を最大限に利用し、将来は社会に貢献できる人材になるために努力することが礼儀であると思います。
自分は当たり前のように毎日快適に過ごすことができ、学問や自分の趣味に取り組む時間と機会に恵まれています。しかし、世界にはその環境がないが故に、才能を磨けないような人々が大勢います。もしそのような人たちが荒廃した大学生活を送る人々を見たらどう思うでしょう?格差が生じるのは仕方がない現実ではあるけど、少なくとも恵まれた環境にいる人々はそのことに感謝し、努力を続けなければならないです。
僕は中学生の頃、中国に帰省しました。中国の学生はエアコンのない家で粗末な鉛筆とノートとわかりにくい教科書を使って一生懸命勉強していました。自分の日本での勉強環境と比べると少しばかり衝撃でした。と同時に、もっと勉強を頑張らなければと思いました。中学時代、部活で体育館に出入りする際は必ず場所に対して挨拶をするように言われました。当時は正直ばかばかしいと思ったけど、好きなことができるというのは有難いことです。常に恵まれた環境にいる人はそれが有難いということに気付かない。それを享受できない人の気持ちもわからず、自分が怠けても何とも思わない。そういう人には僕はなりたくない。最近忘れかけていたこの気持ちをもう一度思い出してみたかったです。
犯罪者と家庭環境
巷には殺人を含む色々な犯罪者がメディアを賑わせ、それを見てる人たちの多くは犯罪者に対してネガティブな感想を抱くでしょう。しかし、犯罪者の多くは家庭や周辺になんらかの問題を抱えていたという話もよく聞く。名古屋大学教授河野荘子らの研究によれば劣悪な家庭環境は犯罪発生に寄与するということが統計的に示されているのです。
池田小学校児童殺傷事件犯人の宅間守も凄惨な生い立ちであることはよく知られています。僕はこのような犯罪者達を”超えてはいけない一線を超えた”という免罪符で一方的に批判的な口調を並べるような人たちは少なからず傲慢なように思えてしまうのです。なぜなら、そのような犯罪者の多くが過ごしてきた凄惨な生い立ちと、周囲の環境
は全てその人に責任があるとは思えないからです。裁判の現場では情状酌量の口実としてよく用いられる事柄のようですが、やはり被害者遺族の感情や、取り返しのつかない状況となった今、犯人には然るべき法的判断が下されます。それを知った外部の人々の多くはさらに被害者に批判的な論調を展開します。ここに僕は違和感を感じるのです。おそらくそのような人たちは、一般的な家庭に育ち、凄惨な生い立ちのもとでの極限状態に陥った人々を理解することはできないでしょう。だからこそ、そのようなことが言えてしまうのです。もしあなたが犯罪者と同じような生い立ちの下で育ったならば、健全に育っていたのでしょうか?責任能力のない子供時代の環境によって、多くの人格的な部分が決まってしまうというのはとても不条理な現実です。まともな家庭に育った人たちは、まともではない家庭に育った人たちの気持ちは理解できず、結果として犯罪者が生まれてしまえば、対岸から哀れみと軽蔑の目を向けます。そして、臭いものには蓋がされ、犯罪者はその過去と未来もろとも失ってしまうのです。生まれた瞬間から不幸せな人々は、一生を不幸せに過ごし、生まれた瞬間から幸せな人々は、一生幸せに過ごすというのが現実なのです。不幸せな人々は、その凄惨な過去を生きた気持ちを他者に気づいてもらうことすらないのです。私は犯罪者のこのような事実にもっとスポットライトが当たるべきだと思います。また、むしろ犯罪者は今まで不幸せに生きざるを得なかった分、将来はもっと幸せに生きるべきである、と思ってしまうことすらあります。自分も含めて、幸せが当たり前だという環境の人こそ、このような問題を真剣に考えて欲しいです。